本日の総幹部会も、一人ひとりの素晴らしい登壇に大感動いたしました。
先生の百箇日法要の翌日に「三万」の誓願を立てて戦いを開始した決戦場第五年の初陣、さきほど発表されたごとく、昨年の最終法戦を上回わる、実に空前の三万九千五三六名の大折伏が敢行されました。
あと少しで四万に手が届くほどの凄まじい大前進です。
まことにご苦労さまでした。
末法濁悪のこの日本国において、日蓮大聖人の難信難解の三大秘法を弘通するわけですから、心ない罵声を浴びせられたり、家族や友人・知人に信心を反対されたり、会社内において上司や同僚の怨嫉を受けたり、折伏にあたれど逆縁の山を築くばかりであったりと、さまざまな魔障や困難があったに違いありません。
しかし、それぞれが「我れ一人立つ」との気魄で勇み立ち、ついに成し遂げられた真心の弘通、その一名一名の背景にある涙の出るような赤誠に思いを巡らせつつ、けさ私は、先生の御霊前に謹んでご奉告いたしました。
先生のご遺志を継ぎ、敢然と御遺命成就の戦いに立ち上がった全顕正会員の熱誠を、先生は霊山から必ずやごらんになり、莞爾と笑みを湛えられ「よくがんばった」と、お頷き下さっておられるに違いありません。
昨年十月十六日に浅井先生が御逝去されてより早くも半年余りが経ち、いま私自身、心から不思議を感じております。
当初は、全顕正会が未だ曽てない深い悲しみに暮れておりましたが、御金言に毫末も相違せぬ美事なまでの先生の成仏の妙相を拝見した瞬間、それまでの哀惜の念は、御本尊様絶対の大確信と、大聖人様の大慈大悲に対し奉る有難さへと変わりました。
それより月々日々に全顕正会員の信心の純度が増し、恋慕渇仰の信心は深まり、御遺命成就に向けて不惜身命の信心で戦う大情熱が燃えたぎるにいたりました。
かくして昨年の最終法戦と本年の初陣に、それぞれ過去最高の大折伏が敢行された意義はまことに大きいものであります。
これこそ、私たちの前進が大聖人様の御意に適い奉り、先生の指さされるままに御奉公を貫き通していくならば、御本仏の御遺命成就のお役に立たせて頂ける証と伏して拝するものであります。
先生の御跡を慕い熱涙の中に立ち上がった私たちを、大聖人様が御守護下さり、また先生が我らの進むべき道を指し示し、今なお広布の陣頭指揮をお執りになっておられるがごとくで、有難さに咽ぶばかりです。
改めて申すまでもなく、一国を動かす三百万の大陣を構築するには、北は北海道から南は九州・沖縄にいたる全国に、そしてあらゆる社会の階層に、「恋慕渇仰の信心」「心かたき絶対信」に立つ、力ある広布の人材が無数に出てこなければなりません。
私が日曜勤行と御書講義を再開し、またその冊子を発刊したのは偏にそのためであります。
しかして今、各組織のいたるところで新入信者や未活動者など大勢の人材が立ち上がり、戦いの裾野が広がり、勢いが増していること有難い限りです。
同時に、六百万学会員を救う戦いによって多くのまじめな学会員が正義にめざめ、功徳の大歓喜のまま「入阿鼻獄」の学会員を救わんと力強く立ち上がっております。
これらはすべて「時」なるがゆえであります。
浅井先生は
「『時』というのはまことに不思議である」
として、広宣流布が近づくにつれて、人材の成長の早さ、そして御本尊様の賞罰の出方が変わってくることをご教示下さいました。
されば迎える五月、その大確信を胸に懐き、機関紙購読を力強く推進する中に、全組織が大勢の人材を育成・抜擢し、盤石なる体制を構築していこうではありませんか。
さて、この四月は「佐渡御書」の講義を拝聴いたしました。
先生の鉄石のご確信と燃えるような大情熱に満ちた講義を通して、極寒の佐渡雪中で筆を執り給う御本仏の大慈大悲と師子王の御気魄が七百年の時を越えて胸に迫り、言いしれぬ大感動が込み上げてまいりました。
この講義をされたお心について先生は
「御遺命成就の時に生まれ合わせ、大事な御奉公を貫く顕正会員こそ心肝に染めるべきと思い拝読した」と。
そしてその大意を
「日蓮大聖人の師子王のごとき御振舞いを通して、『仏法のために身命を惜しまぬ者、必ず仏に成る』ということを、我ら末弟に教えて下さった御書である」
とご教示下さいました。
御遺命成就に戦う私たちは、先般の「松野殿御返事」講義と併せ、深く心腑に染むべきであります。
「仏法に身命を捨てる」といえば、いかにも大仰なことに聞こえるところ、世間のつまらぬことに人はみな命を捨てている実相をお示し下された段は、何度 拝しても新たな感動とともに、捨身の決意が沸々と湧いてまいります。
人は、あるいは重恩ある人のために我が命を捨ててその恩に報いんとし、あるいは赤穂浪士や白虎隊などにみるごとく忠義のために命を捨て、あるいは戦時中には「お国のため、天皇陛下のため」といって多くの青年が死地に赴いた。
あるいは社会的体面にこだわる男子は恥辱を濯ぐために命を捨て、あるいは女性は男のために命を捨て、あるいは臆病な人間が目先の欲望のために命を捨つる。
はたまた命を惜しみ切った生活をすれば命を失わずに済むかといえばそうではなく、あるいは天変・地夭・飢饉・疫病、また大戦争等に巻き込まれては命を落とし、たとえ大災難を免れたとしても、人は必ず老いて死ぬという人生の実相。
ゆえに大聖人様は
「とにかくに死は一定なり。……同じくは仮りにも、法華経のゆへに命をすてよ」と。
また
「命限り有り、惜しむべからず」と。
あるいは
「命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ」等と仰せ給う。
要するに死は一定であり、誰しもいつまでも生きられるものではなく、ゆえに「あだにはかなき」一生のうちに永遠に崩れぬ仏果を得ることこそが何より大事なのであります。
そのことがわかれば、たとえ癌になっても嘆く必要はなく、そこから命がけの信心に立つならば、それが成仏に繋がり、むしろ「癌即功徳」なのであります。
このように、すべての人が死から逃げられないことがわかるとき、仏法のために身を捨てて仏果を得ることが、いかに尊く有難いことであるのかが深く命に収まります。
そして
「師子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し」
との肝要の一段において先生は
「日蓮大聖人の師子王のごとき御振舞いこそ、末法の時に適った修行であり、この不惜身命の御修行により、ついに久遠元初の自受用身の成道を遂げられ末法下種の本仏と顕われ給うた、との深意をここにお示し下されている」
として、竜の口大法難における大聖人様の御尊容を具にお教え下さいました。
まさしく、かかる仏法のためには身命も惜しまぬ大勇猛心こそ「師子王の心」と胸に刻みました。
かつて先生は「師子王心」について、かく仰せ下さいました。
「この師子王心は、御本仏しか持ち得ない。凡夫は臆病なものである。しかし臆病な凡夫も、大聖人に南無し奉る信心に立つとき、忠誠心に立つとき、御本仏の師子王心を凡心に映して、身命を惜しまず御奉公を貫くことができる。熱原の法華講衆は、まさしくそれである」と。
謹んで思うに、一度も大聖人様にお値いしたことのない熱原の法華講衆は、竜の口大法難を眼前にされ、極寒の佐渡への流罪にも御供され、大聖人様と日夜、大事の法門を談義された日興上人から、大聖人様こそが末法下種の御本仏にてましますことと、竜の口におけるその師子王のごとき御振舞いを具に指導されていたに違いありません。
かくて御本仏に南無し奉り、その師子王心に同心し奉った熱原の法華講衆は、熱原の大法難において、幕府の最高実力者といわれた平左衛門による
「汝ら、法華経を捨てて念仏を唱えよ。さすれば許して直ちに故郷に帰す。さもなければ首を刎ねるであろう」
との威しにも泰然として動じず、「南無妙法蓮華経」と唱え奉ることを以て答えに替えたのでした。
平左衛門は驚き、ついに神四郎・弥五郎・弥六郎の三人の首を刎ねたのであります。
深く深く御感あそばされた大聖人様は、神四郎等法華講衆を「願主」として、出世の本懐たる全人類総与の本門戒壇の大御本尊を御建立せられたのであります。
先生は法華講衆の出現の意義について、かく仰せられております。
「思うに、法華講衆の振舞いは、とうてい凡夫のなせるわざではない。
名もなき農民が天下の権威を恐れず、仏法のためには身命も惜しまなかったのは、ただ大聖人の師子王心に同心し奉ったゆえである。
『師子王は百獣に怖ぢず、師子の子又かくのごとし』とはこれである。
名もなき農民が、それも一人・二人ではない、集団として大聖人の師子王心に同心し奉る。この異体同心こそ、未来事の広宣流布の瑞相、国立戒壇建立の先序でなくて何であろうか」
「御本仏がいよいよ出世の本懐を遂げんとおぼされた弘安年中に至って、血脈付法の人日興上人の弘通により、戒壇建立の地の富士南麓において、かかる不惜身命の集団が忽然と出現したことは、まさに御本仏の仏力の然らしむるところと拝し奉る以外にない」と。
翻って広布前夜、第六天の魔王の働きによって正系門家の悉くが誑かされる中、御遺命を守り奉られた先生もまた、御本仏の師子王心に同心し奉られ、身命を惜しまず御奉公を貫かれたのであります。
当時、先生は
「佐渡御書こそ妙信講の精神」
とつねづね仰せられ、御遺命守護の戦いの最中に七回も佐渡御書の講義をなされ、全講員がかかる大事を心腑に染めては大勇猛心に立ち、あの激烈なる戦いをなされたのであります。
大聖人様は佐渡御書において、本来ならば法華経を誹謗する念仏・禅等の邪法の輩を折伏して大聖人のお味方を申し上げねばならない天台宗の学者らが、邪法に帰依している国主の権力を恐れ、大聖人を侮り悪口したことを
「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し、智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる。諛臣と申すは是れなり」と仰せ給うておられます。
偽戒壇・正本堂の誑惑に唯々諾々と加担した宗門高僧らも、天台宗の学者らと全く同じ「諛臣」であります。
本来、正系門家の僧侶であれば、御本仏・日蓮大聖人の御遺命が破壊されんとするを見れば、池田大作が構えた正本堂の誑惑を真っ先に摧いてしかるべきであり、また唯お一人、身命を抛って御遺命を守護し奉られる浅井先生のお味方をしなければならない立場であります。
昨年六月度総幹部会で、妙信講の指導教師であった松本日仁尊能化の大恩について、先生から指導を頂きました。
池田大作の傀儡と化した細井日達は、妙信講を守らんとした松本尊能化と先生の手を切らせようとしました。
その際、細井日達から
「妙縁寺の住職代務者を置け。あなたは一切、妙信講員と接触してはいけない。すべてをその代務者に任せろ」
と強要された松本尊能化は毅然とそれを断わり、後日、松本尊能化を説得に訪れた妙縁寺の総代にして法華講連合会の副会長を務めていた佐藤悦三郎に対して、このように言われました。
「在家のあなた方には教義のことはわからないかもしれないが、実は正本堂は御遺命の戒壇ではない、国立戒壇が正しい。
いま妙信講が命がけでやっている御奉公こそ、本来なら、自分たち僧侶がやらなければならないことなのである。このこと、今まで言わなかったのは僧侶として恥ずかしい」と。
ついには非道なる擯斥処分を受けるとも、妙信講を守られた松本尊能化の振舞いこそが、本来、宗門僧侶のあるべき姿であります。
ところが大聖人様を忘れ、学会の強大を恐れ、その金力に心を蕩かされた賤しき宗門僧侶らは、莫大な供養を以て養ってくれる学会に、犬が主に尻尾を振るごとく媚び諂い、一人御遺命を守り奉られる浅井先生を侮ったのであります。
「松野殿御返事」講義において先生は、当時の宗門僧侶の姿をこのように指導下さいました。
「僧侶のくせに、ゴルフだ、マージャンだ、クラブ通いだ、芸者あそびだと、こんなことに現を抜かす坊主がいる。また本山で寺族同心会が開かれる時など、住職は女房同伴で登山し、女房たちは着物のきらびやかを互いに競い合っている。
なんでこんな奢った生活ができるのか。それは学会の供養による。学会員が増えるにしたがって、各末寺の収入はどんどん増えた。僧侶たちは広宣流布も忘れ、折伏もしない。ただ学会にお世辞を使っていれば、裕福な生活ができた。だからみな『学会サマサマ』だった」と。
このような坊主は、大聖人様より
「法師の皮を著たる畜生」
「法師と云う名字をぬすめる盗人」
「諛臣と申すは是れなり」
とのお叱りを蒙ること必定であります。
この宗門の禿人どもがいかに無道心であるのか――。
池田大作から言われれば、それまで宗門が唯一の宿願・目的としてきた「国立戒壇」を弊履のごとく抛ち、偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇とするその誑惑に協力したのであります。
御遺命が破壊される以前の宗門はみな「国立戒壇建立」を叫んでおりました。
第五十九世・日亨上人は
「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」(大白蓮華11号)と。
第六十四世日昇上人は
「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年 今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(奉安殿慶讃文)と。
第六十五世日淳上人は
「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」(「富士一跡門徒存知事」の文に就いて)と。
あの第六十六世細井日達管長ですらも、池田大作にへつらって正本堂の誑惑に協力する以前は
「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命である」(大白蓮華・昭和35年1月号)
と正しく国立戒壇を主張しておりました。
このように昭和三十年代までの宗門は、貫首上人以下全僧俗一人も残らず「御遺命の戒壇とは国立戒壇である」とし、これを唯一の宿願・目的としてきたのであります。
にもかかわらず、池田大作にへつらう細井日達は
「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華・昭和43年1月号)と。
あるいは
「国立戒壇は本宗の教義ではない」
などと言い、池田の誑惑を助け、また宗門高僧らも正本堂を御遺命の戒壇と讃歎し、池田大作にへつらったのであります。
しかるに、先生の連々たる諫暁によって、蜜月状態だった学会と宗門の間に深刻な亀裂が生じ、それが大抗争に発展するや、宗門はすべての罪を池田大作に擦りつけ、己れは被害者ヅラをし、偽戒壇・正本堂が崩壊してもなお、未だに御遺命違背の訂正も、撤回も、改悔もせず、阿部日顕は
「国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかった」
などと、国立戒壇に対して異常なまでの怨嫉をしておりました。
この宗門の卑怯・卑劣、そして度し難い無道心を見ては、全身の血が逆流する憤りが衝き上げ
「腐り切った浅ましき禿人どもよ、大聖人様の御眼を恐れよ」
と声を大にして言いたい。
それにつけても、軍部のごとき強大な権力を誇った八百万学会と、その学会にへつらい道念の欠片もない禿人どもで充満する正系門家にあって、唯お一人で諫暁を重ねられた先生の激闘が、いかに凄まじきものであられたことか。
今月七日の日曜勤行で拝聴したご指導において先生は、報恩抄の
「日蓮一人、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声も惜しまず唱うるなり」
との一節を引かれ
「大勢順応では成仏は叶わない。
たとえ多くの者が反対しようと悪口をいおうとも、一人の大聖人様に忠誠を貫くのが、地涌の菩薩である。ここに始めて成仏がある。
顕正会員は『日蓮一人』との仰せを、絶対に忘れてはいけない。一人一人がそれぞれの立場で、『我れ一人立つ』との気魄で立て」
と師子吼されましたが、全宗門が挙って大聖人様の敵となる中
「日蓮一人」「日興一人」
との大精神を受け継がれ、「我れ一人立つ」のご覚悟で御遺命の正義を顕わされた先生の大忠誠心が、強烈に胸に突き刺さりました。
先生は佐渡御書の講義において、かく仰せられました。
「『悪王』と『邪法の僧等』の結託による理不尽な死罪に対し、大聖人様は臆して命乞いをされたでしょうか。凡夫ならそういうこともあるかも知れない。
だが大聖人様は師子王のごとき御心で、竜の口の頸の座に臨み給うたのである。これ、御自身の身命は惜しまず、ただ法を惜しみ給うお姿であられる」と。
今この仰せを先生の戦いに約させて頂けば――
最高権力者・池田大作と絶対権威の「時の貫首」らの結託による死罪に等しい理不尽な解散処分に対し、先生は臆して命乞いをされたでしょうか。先生は師子王のごときお心で、徹底せる諫暁に立たれた。これ、ご自身の身命は惜しまず、ただ法を惜しむゆえに、大聖人様への忠誠心で御遺命を守り奉られたお姿である――と拝するのほかはありません。
この先生の何ものをも恐れぬ師子王心がいかなるものであられたのか。
それは解散処分の前夜、御遺命の正義を正系門家の全信徒に知らせ訴える戦いを決然と起こされたときのご覚悟を拝すればよくわかります。
先生はかく師子吼されました。
「それでは妙信講はどうなるのか、つぶされるではないかと……。
へらぬ口のようではあるが、解散・除名などは少しも悲しむことではない。嘆くにはあたらない。むしろ喜びである。妙信講には世間の失一分もない、ただ法を惜しむゆえに、いま大聖人様の御遺命を守り、御金言に方人申し上げている。その為に首を刎ねられるなら本望ではないか。もしそのような事態がおこるなら、願ってもないこと、無始の罪障忽ちに消滅する功徳となる。
……妙信講の悲しみはすでに御遺命が曲げられてしまったことにある。正系門家が公式決定として、無懺にも御遺命を曲げてしまった。かかる仏法の最悪の事態を見ながら、妙信講だけは安穏である、そしてのうのうと嬉し顔にて暮らしていては、大聖人様に申しわけが立たない」と。
まさに佐渡御書を文字どおり身で読まれ、ついには死罪に等しい解散処分を蒙った先生の、いささかの私心なき大忠誠心には熱涙を禁じ得ぬものであります。
何年か前のある日、先生とお話をさせて頂いた際、先生が顕正会の解散処分について仰せられたことを、私は今でも忘れたことはありません。
先生はこう仰せられました。
「近い将来、正しき貫首上人が御出になった時、私は松本日仁尊能化の擯斥処分の取り消しを直ちに求める。
しかし顕正会の解散処分については違う。ただ御仏意に任せ奉るの思いではあるが、私からは絶対に解散処分の取り消しは求めない。
なぜなら、大聖人様の御遺命を守り奉ったゆえに蒙った『解散処分』は、仏弟子にとって最高の『勲章』だからである。こんなに有難いものはない」と。
信心なき愚人の毀誉褒貶など一切目もくれず、ただ大聖人様の御頷きを賜わることのみを本望とされる先生の、どこまでも澄み切ったご信心に涙が止まりませんでした。
普通の凡夫であれば、理不尽な解散処分を受ければ、ただその非道を恨み、あるいは愚癡や不満を募らせ、あるいは抗議を行い、あるいはそれを以て事を成し遂げられぬ言いわけとすることでありましょう。
これ、己れの名誉や保身を大事に思うがゆえ、そして忠誠薄く、心弱きゆえであります。
しかるに、先生におかれては、大聖人様の御悲しみ・御憤りをそのまま御身に味わわれ、むしろ不当なる死罪を蒙ったことを大聖人様の御意に適い奉るの悦びとされる、そのあまりにも崇高にして透徹のお心に、ただ低頭するばかりであります。
将来 全日本人が、先生の身命を賭したこの大忠誠心に涙を流すこと間違いありません。
私たちは、かかる浅井先生の弟子であります。
ならば全員が先生の大忠誠心を深く命に刻み、いかなる魔障も困難も乗り越えて、御遺命成就の重大御奉公に勇み立たねばなりません。
そして私自身、先生が佐渡御書の「師子王の心」で大忠誠を貫かれたゆえに蒙った「解散処分」のその意義きわめて重大なるを、今にして改めて深く思うものであります。
先生は下種本仏成道御書の
「人をよくなすものは、かたうどよりも強敵」
との仰せを引かれた日曜勤行において
「顕正会は御遺命を守り奉ったゆえに、理不尽な解散処分という大魔障を受けた。しかしこの大魔障のおかげで、いま日本国の中において大聖人様に御奉公を申し上げる、唯一の仏弟子の大集団になれたのである」
と指導下さいましたが、千鈞の重みを感じるものであります。
心を沈めて思うに、もし解散処分がなければ、どうなっていたことでしょうか――。
御遺命破壊の悪貫首たる細井日達ならびに阿部日顕が率いる腐敗堕落の宗門の中にいたら、「修羅と悪竜の合戦」のごとき学会との醜悪極まる大抗争に巻き込まれ、広宣流布の御奉公が叶わなかったに違いありません。
しかし解散処分を蒙ったことで、腐り切った濁乱の学会・宗門と一線を画し、先生は
「御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」
とのご精神で、戒壇の大御本尊を直接拝みまいらせる広布最終段階の信行たる遥拝勤行を確立され、ただ一瀉千里に広布に邁進し、ついに三百万になんなんとする死身弘法をなされ、いま学会・宗門を遥かに凌駕して、日本国の中で日蓮大聖人の大恩徳を叫ぶ唯一の仏弟子の大集団になさしめたのであります。
すべては
「師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し」
との御金言を身で読まれた先生の峻厳極まる大忠誠心によるものであり、大聖人様が先生を衣を以て覆い御守護下さったものと拝するのほかはありません。
対して、「極限の大謗法」を犯し「未曽有の邪教化」に陥った学会、そして御遺命を売り渡した罰で餓鬼道に堕した宗門が、ともに凋落の一途を辿る姿を見てはなおのこと、御本仏の厳たる御仏意に五体が打ち震えてまいります。
また
「仏法は摂受・折伏時によるべし」
との仏法の弘め方について先生は、開目抄の
「摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき」
との御文を以て重大事をお教え下さいました。
信心が不純になり、大聖人に対し奉る忠誠心がなくなると、末法に摂受を持ち込むことを先生は指摘され、池田大作の所行こそ
「臆病と保身から発する似非摂受」
と喝破されました。
先般発刊された「創価学会教学要綱」における「折伏」に関する記述をみても、その似非摂受ぶりは度し難いものがあります。
教学要綱において池田大作一党は、令和3年に制定した「創価学会 社会憲章」にある
「仏法の寛容の精神に基づき、他の宗教的伝統や哲学を尊重」するとの内容を強調し、さらに
「実際の弘教においては、仏法の寛容の精神に基づき、相手の立場や思想を尊重しつつ、智慧を発揮して、共感と納得の対話を貫くことを重んじている」
などと述べ、完全に折伏の精神を捨て去ってしまっております。
この学会の似非摂受について先生は、かつてこのように痛烈に喝破されました。
「大聖人様の折伏は自讃毀他ではない。三大秘法だけが一切衆生成仏の大法であり、国家安泰・世界平和の唯一の正法である。他宗はことごとく人を不幸にする邪法である。ゆえに邪法を捨てて正法を立てよ、と仰せ給うのである。
まさに破邪・立正の折伏こそ大慈大悲なのである。
ゆえに開目抄には、大聖人の折伏を批判する輩に対し、涅槃の疏を引いて、こう仰せ下されている。
『慈無くして詐り親むは是れ彼が怨なり。乃至、彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり』
いま学会は、選挙の票ほしさに世間にへつらい、大聖人の御意に背く『憲章』まで新たに作った」と。
まことに「天台沙門」と名乗り、日蓮大聖人の御徳を隠して似非摂受に陥った五老僧のそれと全く同じであります。
教学要綱の話のついでに「六百万学会員を救わん」特集号に対する学会の反応についてふれておきます。
「六百万学会員を救わん」特集号が連々と発刊され、まじめな学会員が続々と正義にめざめ、大確信で立ち上がる潮流が起きていることに、いたたまれなくなった池田大作一党が、敵対団体を攻撃するための媒体で、3月26日から29日の4日にわたって顕正会を誹謗する記事を掲載しておりました。
その中の一つのタイトルはこういったものでした。
「顕正会は大聖人の仏法とは異質の邪教」
「広告文と遥拝勤行で学会員を救うとは笑止」と。
いったい何を血迷っているのでしょうか。
誰がどう見ても「大聖人の仏法とは異質の邪教」とは他ならぬ学会のことであります。「笑止」とはこちらのセリフです。
4号もの紙面を使って何をダラダラ書いているのか一瞥してみると
「邪教・顕正会の顕正新聞が最近は学会に対して的外れの誹謗中傷を並べ『未曽有の邪教化』等と批判して『広告文と遥拝勤行で学会員を救わん』と繰り返し、今月(三月)二十五日付の新聞でも学会批判の記事で埋め尽くしているが、笑止千万」
などと精いっぱい強がってみせていました。
しかし何とも滑稽なのは「未曽有の邪教化」等に対する呵責を「的外れの誹謗中傷」と言いながら、それに対する反論が一切なされていないことであります。
学会ではこの教学要綱について何といっているかといえば
「創価学会が実践する日蓮仏法の骨格・核心について論じられている」とか
「創価学会こそ、日蓮仏法の唯一の正統な教団であることを明確に示」したものと宣伝しております。
例によって「日蓮仏法」などと信心なきゆえに失礼千万な言い方をしておりますが、もしそこまで教学要綱に誇るべき内容が記されているならば、こちらの破折に対して堂々と反論すべきであります。
しかるに、「教学要綱」の「き」の字も出さず、一言たりとも一連の特集号の内容にふれられないのです。
これ、下手にふれたら池田大作一党の「極限の大謗法」「未曽有の邪教化」等が学会員の知るところとなり藪蛇になってしまうからであります。
かといって、何も手を打たなければ多くの学会員が顕正会に続々と入会してしまうため、浅井先生の悪口だけを書き連ね、論点をずらすしかなかったようです。
結局のところ、「極限の大謗法」「未曽有の邪教化」その他の池田大作一党の稚拙な「己義」に対する顕正会の破折に対し、池田大作一党は公式の出版物では何もふれられず、くだんの媒体で密かに中傷することしかできず、完全に反論不能であることが露呈してしまったのであります。
六百万学会員は、この池田大作一党の腑抜けぶりを以て学会の誤りに気づき、早く正しき師匠・浅井先生に師事すべきであります。
また先ほどの登壇でもありましたが、いま学会員が次々に顕正会へ入会しているため学会組織では「顕正会対策」に躍起になっているそうです。
その具体的対策なるものは
「顕正会員が学会員のところに折伏しに来たら警察に通報せよ」
というものだという。
過去に学会は「K対策」という顕正会対策マニュアルを策定し、全国の学会組織に周知徹底したことがありました。
その内容は〝顕正会員が学会員宅を訪れたら、学会員であることを隠し、一般人を装って警察へ通報せよ〟というものでした。
学会は今回もこのような通報を積み重ね、警察等の公権力が顕正会員の活動を警戒・注視せざるを得ない状況を作ることで、事件性のないものでも顕正会員が関わっていれば厳しい捜査をするよう暗に仕向け、またマスコミを使って「警察へ数多くの通報が寄せられていた」などと大々的に報道させるのでしょう。
そうすれば顕正会を〝犯罪集団・危険集団〟と印象づけられ、学会の組織防衛を図ることができるのです。
これあたかも、御在世において、法義では太刀打ちできない良観が、権力者に讒言して大聖人様の御命を奪わんとした所行のごとくであり、学会はこのような謀略的な対応を構えることしかできないのであります。
大聖人様は
「吾が一門の人々の中にも信心もうすく、日蓮が申す事を背き給わば、蘇我が如くなるべし」(四条金吾殿御返事)と。
―信心不純で、大聖人の仰せに背くならば、蘇我のように身を亡ぼす――と仰せ給うておられます。
たとえ学会が最後の悪足掻きであらゆる策謀を巡らすとも、日蓮大聖人の御遺命に背いた上に「極限の大謗法」を犯し「未曽有の邪教化」に陥った学会は、諸天の鉄槌によって正本堂が轟音とともに崩壊したごとく、一時に瓦解すること断じて疑いありません。
されば
「私は学会員を憎いと思ったことは一度もない。ただ不憫に思っている」
との先生のお心を体し、罰に呻吟し「入阿鼻獄」となる学会員を救う戦いを、いよいよ果敢に展開してまいろうではありませんか。
話を戻します。
いま佐渡御書の
「正法は一字一句なれども、時機に叶いぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶うべからず」
との一節が胸に迫ります。
成仏は、時に叶う修行によって始めて叶うものであり、いかに経論を学び御書をそらんじたとしても、時に叶わなければ成仏は叶わない――と仰せ給うておられます。
先生は御遺命守護の戦いの最中、この一節について、かく指導下さいました。
「その時々において、いかに振舞うことが、大聖人のため、法のため、国のため、一切衆生のためになるかを正しく判断することが大事なのである。
ゆえに大聖人は『時機に叶う』ということを具体的に例を挙げ御指南あそばされている。
たとえば、もし経をそらんずる鬼神あって、肉を得ば経を説くべしという時には、雪山童子のごとく身を布施として法を求めよと。だが肉をほしがらざる時に身を投げるは愚行である。
また仏の教えを伝えんとする時、紙なくば身の皮をはぎ、筆なくば骨を筆とすべきである。だが紙筆ある世に身を傷めるは無用である。
またもし国王あって外教を以て仏教を弾圧せんとする時は、道安法師・慧遠法師・法道三蔵のごとく、一身を顧みず王と諍論すべきである。
あるいは仏教の中で小乗・大乗・権経・実経等が混乱した時には、天台・伝教のごとく経の勝劣を強盛に分別すべきであると。
而して、末法の始に三大秘法が出現して一切衆生が利益を得べき時、悪王と邪僧が結託して正法を失わんとする時は『師子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし』と仰せである。これ御本仏大聖人一人の御振舞いであられる。
然らば、いま大聖人の末流として、我らの為すべき『時に叶う御奉公』とは何か。
……いま事の広布の前夜、世間の批判を恐れて国立戒壇の御遺命が無懺にも放棄された。そして正本堂を詐り立ててキリスト教の神父まで招いたのである。破邪立正の御聖意はここにふみにじられた。どうして日本の傾かぬことがあろうか。
大聖人の御悲しみ・御憤りを思えば、仏弟子たる者 一身を賭してこの歪曲を摧き、御遺命の正義を顕わさなくてはならぬ。これこそ時に叶う唯一の御奉公ではないか。
『正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし』と。いま妙信講の死守するは一期弘法抄の『我が門弟等此の状を守るべきなり』のわずか一句なれども、大事の御遺命失せんとするに当って、まさに時機に叶う御奉公なるゆえ、この仏事に連なる者は必ず大功徳を成ずるのである」と。
御遺命守護の戦いにおける先生の捨身のご気魄が、強く胸に迫ってまいります。
私たち顕正会員は、常に大聖人様の御命令を信心の耳で聞き奉られる先生の弟子になり得ればこそ、たとえわずかな信心であろうと、時に適う御奉公が叶い大功徳を頂けるのであります。
そこに今、広布最終段階における時に適う御奉公とは何か――。
これすなわち
恋慕渇仰の「遥拝勤行」に励み、大聖人様の大恩徳が顕わされた「広告文」を以て広宣流布のお手伝いをしていくことであります。
御遺命守護のゆえに理不尽なる解散処分を蒙った際、先生は
「遥拝勤行で広宣流布の御奉公に立たん」
とご決意され、その死身弘法ついに三百万になんなんとする大潮流になさしめられました。
正系門家が御遺命に背く師敵対に陥っているときには、距離を乗り越えて直接、戒壇の大御本尊様を拝み奉る遥拝勤行こそ、まさに時に適った信行なのであります。
そしてこの恋慕渇仰の遥拝勤行は必ず日本国に満ち満ち、国家意志の表明たる「勅宣・御教書」も申し下され、国立戒壇の金剛宝座についに戒壇の大御本尊様が御出ましあそばす。
この国立戒壇建立の「唯願説之」につながるのが、恋慕渇仰の遥拝勤行であります。
また先生は広告文において、誰人も否定できぬ三つの現証、すなわち「臨終の相」の善悪、「立正安国論の御予言的中」、国家権力も御頸切れずの「竜の口の大現証」を以て大聖人様の大恩徳をお示し下さいました。
この広告文の発行部数は一億部にならんとし、これ御在世以来の「開目」の大運動であります。
たとえまだ反対する人が多くとも、いよいよ亡国の大罰たる他国侵逼が眼前になるとき、その恐ろしさから、全日本人が頭を地につけ掌を合わせて「助け給え、南無日蓮大聖人」「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」と声をつるべて唱え奉る時が必ず来る。
「日本国一時に信ずる事あるべし」
との大聖人様の御断言が事相となるのであります。
そして、学会が大聖人様を凡夫視して貶める「未曽有の邪教化」に至った今、大聖人様こそ久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏にてましますことを、声を大にして顕わさなければなりません。
まさしく遥拝勤行と広告文こそが広布最終段階の「時に適う御奉公」なのであります。
だからこそ、それを実践する私たちは、今生には功徳を頂き、後生には成仏という永遠に崩れぬ大仏果を得させて頂けるのであります。
すべては大聖人様の御眼のみを恐れ、身命を賭して戦われた浅井先生が広布最終段階の信行を確立して下さったゆえであり
「その大なる師恩、何を以てかこれを報ぜん」
とのご報恩の思いが込み上げてまいります。
さて、世間に目を転ずれば
本年元日に発生したマグニチュード7・6、最大震度7の能登半島地震や、今月3日に発生したマグニチュード7・7、最大震度6強の台湾の地震、さらには今月17日に発生したマグニチュード6・6、最大震度6弱の豊後水道の地震等、頻発する大規模な地震を見ると、首都圏直下と南海トラフ地震も遠からずと覚悟せずにはいられません。
それらが発生すれば日本は潰滅し、国家破産も不可避であります。
一方、岸田首相は就任後、アメリカに要請されるまま、新たな安保戦略で防衛費をGDPの2%に増やし、自衛隊に敵基地攻撃能力を保有させ、共同開発した防衛装備品の第三国への輸出解禁をも決めるなどしてきました。
それらの措置を認められ、岸田首相は今月8日から14日までアメリカに国賓待遇で招待されました。
その際に発出された日米首脳共同声明に、自衛隊と在日米軍の連携強化に向けて指揮・統制の枠組みの見直しが盛り込まれましたが、今後、事実上、自衛隊が米軍の指揮下に置かれ、完全一体化が図られることは間違いありません。これ安保政策の大きな転換であります。
台湾有事あるいは朝鮮半島有事が発生した際、自衛隊が米軍の下請けとしてその指揮下で戦えば、中国や北朝鮮からの反撃によって日本の国土が戦場になることは火を見るより明らかであります。
たとえアメリカの下で軍備増強を図っても、諸天の守護がなければ一切の軍備も虚しくなる。かえって他国侵逼を受けるのであります。
ゆえに大聖人様は撰時抄に
「設い五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生 兵難に値うべし」と。
すなわち諸天の責めによる他国侵逼ならば、いかなる武装をしても役に立たない――「必ず日本国の一切衆生 兵難に値うべし」と御断言であります。
アメリカは日本の柱ではない。
日本の人々は、この国に絶大威徳・大慈大悲の御本仏日蓮大聖人がましますことに、早くめざめなければいけない。
かかる亡国眼前の日本にあって
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
の重大聖語を叫ぶ資格と実力を有するは、御遺命を命かけて守り奉られた浅井先生が築かれた顕正会以外には断じてあるべくもない。
さあ、迎える五月、一切の油断を排し、三百万を急ぐ大前進をなし、霊山にまします浅井先生に全員でお応えしてまいろうではありませんか。
以上。(大拍手)